生と死。その1


おはようございます。


突然ですが・・・、

死について、

考えたことがありますか?

と聞かれると、きっと、

当然、あります、と誰もが答える。

他人の死とは、TVでの報道でも接することは少なくない。

知人、友人とも、ある。

身内との、死とも向き合わなければならないことは、

幾度か、必ずある。

向き合っても来た。


しかし、自分の死については、全く、ピンと来ない。

そんな人生をありがたく、送るらせて頂いてきた。

自分の死については、全く、わからない。

これが、元気な時の実感だと思う。


自分の死・・・、


それは、

人間、どうも、死期を感じた時に、やっと、 考えることができるらしい。


健康な時には、到底考えられない。

自分が死ぬなんて、到底、ピンと来ない。


それが、健康な体から、病気は一気にくる。

ある日、突然のように・・・。

本当は、一気には来てないのかもしれない。

健康を害することが、知らないうちに体に貯まる。

溜まりに溜まって、

そして、それが、溢れ出るとき、やっと、自覚する。


それが、私の場合は、

気管支炎ということらしい。

先日まで、全くなかった、息苦しさが・・・、

まだまだ、ゆるやかだが・・・、

溢れ出るが如く、襲ってくる。


弱虫だから・・・、

一気に、死を考えるところまでいってしまう。


呼吸困難・・・。

これは、きびしい。

鼻詰まりならば、なんとかなる。

しかし、気管支、つまり、実は、肺の中らしい。

肺だといっても過言ではないらしい。


気管支が詰まる・・・。

いかんともしがたい感覚に襲われる。


だから、

つまり、一気に、死を意識させられるレベルまでいってしまう。


このあいだまで、健康で、なんの問題もない体だった。

と、感じていた。

が、実は、体の、不具合は、体が、我慢できない程、蓄積され続けていたのだ。

と、いうことが分かる。


不死身な体に感じていた自分の体が・・・、

はじめて、不死身ではないことを突きつけられる。


死を突きつけられ始めたことを、実感させられる瞬間でもある。

ここで、思うことは、多くはない。

治るのか、治らないのか。

どれくらいまで、生きていられるのか。

いつ死んでいくのか。


第一人称で、死というものに初めて、面と向かうことになる。

今までは、死といえども、他人事だったんだなと、

実感させられる・・・。


死と向き合う・・・、これは、どういうことか。

はじめて、考えることになる。


やはり、

治るのか、治らないのか。

まず、これが、知りたいと思う。


病院に行き、お医者さんに尋ねる。

治らないとは決して言われない・・・。

しかし、感じたことは、難しい・・・、つまり、

答えは、治らないだったと思う。

いかに、うまく付き合って、命を永らえるか。

が、ベストなことだろうと感じさせられてしまう。


風邪なら治る。

怪我も治る。

そうなんだ・・・、

運良く、治ることとだけ、と付き合わせていただいてきたんだなと感謝しなければならない。

治らない病気もあることを実感させられる。


余命は幾らだろう。

考えても無駄なことを考えるものだ。

きっと、この感覚は、余命は1年は持つのかな、

という感覚から来ているのかもしれない。

まさか、10年もあれば、余命なんて、

死の恐怖なんて、感じることはありえない。


病院で、頂いた、処方、薬は2つ。

ひとつは、 アドエアー。

もう一つはメプチンエアー。

二つとも、吸引して使う。

肺だから・・・、そうかと、納得。


アドエアーは毎日、朝晩2回。

メプチンエアーは、即効性があるので、呼吸困難に陥ったときに使用する。


お医者さんの話では、この薬ができて、死ぬ人が激減した。

と、いう話だった。

なるほど、使ってみると、あっという間に、健康体に戻る。

息が出来る。苦しくない。

なるほど。なるほど。

ありがたい限りの薬だ。


しかし、よく考えてみると、それは、

健康体に戻るではなくて、健康な状態にもどる

ということでしかないことに気付かされる。

対処療法でしかない。

それは、根本原因を取り除いてくれているものではない。

しかし、対処療法では、これに勝るものはないのだろうと思う。


ここで、この薬の力を借りながら、借りれるうちに、

根本療法をしなければいけない。

少なくも・・・、

体を痛め続けてきた原因を取り除かなければならない。

出来れば、壊し続けてきた部分を治さなければ・・・。

その方法を、

探さなければいけない。


それは、体、肺は、壊れ続けて行っているから、

今までの、悪い生活習慣を続けていたら・・・、

対処療法、薬が効かなくなったとき、

一貫の終わりだ。

死に直面する。

幸い、まだ、十分、間に合うという実感も残されている。



世の中には、奇跡的に、病気を克服して元気になられた方がいるものだ。

医者も見放して、という病状からカムバックした人がいるものだ。

そんなに、絶体絶命の人でさえ、

元気になる努力は実るものらしい。


ありがたいことに、

そんな、人が、身近におられる、最大の幸運がある。

ガンの末期から元気になられる事は、難しい。

お医者さんでさえ、

それは、全く奇跡と、言われる。

そんな、死の崖っぷちから、

病気を克服して、元気になられた方、

私は幸運なことに、そんな方が身近におられる。

私にとって、こんな、幸運なことはない。


それは、

この方のお話が、唯一、その中に答えがあるのだろうと思う。

その方から、学ばせていただいた、

病気と戦うこと、克服すること、

そして、元気になること。

それは、どういうことか・・・、

克服した人にしかわからないかもしれないアドバイスも、心構えも頂いた。

ありがたいことだ、感謝しなくては。



その人のレベルから見ると、

私など、病気の、まだ、入口にしか過ぎない。

病気から健康体に戻る、一番の、近くのポジションに、

幸い、まだ居る。

ここから、健康体に戻っても、

誰も、奇跡のカムバックとは思わないレベルだ。


そんな、レベルで、本気で取り組むことに、

チャレンジする幸運がある。

感謝、感謝だ。


現在、もうすぐ、誕生日が来ると62歳。

やっぱり、まだ、まだ、健康になれるはず。

それを、書いてみたいと思います。




長くなりすぎました・・・。

続きは、また、後日に。

おつきあいいただきまして、ありがとうございます。