フェイスブックに思う。その2


フェイスブックを始めてしばらくが過ぎた。

変化といえば、

友達が100人になった。

ことと、

アップ量が多すぎるのか、Cloud の残量が少ないという通知が来てしまった。


しかし、お構い無しに、アップを続けている。

いつか、近いうちに、アップできない時間に出会うと思う。


というほど、はまってもいる。


はまる理由は、面白さはと考えてみた。

ブログとも、メールとも違う。


メールでは、決して、やり取りできない人たちとやり取りが出来る。

男性もそうだが、女性となると、全くの不可能でしかない。

それが、フェイスブックだと、当たり前のようにできる。

不思議な、コミュニケーションの空間だと思う。


ブログは、今日もそうだが、勝手に思いを書き綴る。

読んで、いただけることに感謝があります。

ありがたいと思います。

しかし、本当に、稀な事を除いては、一方通行の感覚になる。

しかも、匿名だから、内容に、責任は感じないことが多いかもしれない。

個人的には、それは無い様にしているつもりはありますが。


しかし、フェイスブックの、実名表記はやはり、すごい。

価値がある。

そこに、やはり、緊張感はある。


それで、本当に、中身のあるコミュニケーションが実現するのだと思う。

このブログは、私のフェイスボックに自動でリンクされるように、

いつの間にかなってしまった。

そのリンクの切り方も知らないし、

切りたいという意思も、今のところない、と思ってはいます。


そこで、このブログを読んでいただいている方に、

逆に、フェイスブックのリンクをご紹介させていただきます。

アドレスは。下記です。

http://www.facebook.com/#!/takashi.sato.100


これまでも、これからも、このブログも実質、実名主義になります。


フェイスブックのお陰で、

日々、感じる力も、

それを、見る力も、

それを、理解する力も、

それを、ご紹介させていただく力も、

それを、書く力も、

それを、考える力も、

トレーニングさせてもらっていると思う。


60歳の老化予防には、助けていただいていると思う。


しかし、フェイスブックのすばらしいところは、

やはり、新しい、コミュニケーションの道、通路だと思う。


山を越えて、隣町にトンネルが出来るように、

無かった他人、知人、友人と、コミュニケーションの道が出来た。


その道は、すばらしい。

言葉だけではない、写真も、載せた事は無いが動画も、それにくっ付いて音声も・・・、

載る。


電話とも違う。

テレビ電話とも違う。

郵便の手紙とも違う。

ビデオレターとも違う。


面白いのは、友達という名の今までとは違う友達。

プライベートでありながら、パブリック。

パブリックでありながら、プライベート。

この感覚、このコミュニケーションは、

きっと、人間の太古の昔から、遡っても、

きっと無い。


唯一のの壁は、言語。

このツール、フェイスブックがあれば、

世界中の人とコミュニケーションがとれる。

しかし、立ちふさがるのは、やはり言語。


しかし、写真は見てもらえる。

日本語が話せない、勿論、読めない外国の友達を、

意識すれば、写真は、かなり有効になる。


発信できる事は、良い事だけ。

日本の、良い事、

広島の良い事、

呉市の良い事に限る、を

写真の載せて、思いを届けることは、

少し、いや、かなり出来そうだと思う。


そうして、外国の良い事も、届けてもらえる。

そして、市民レベルで、世界が友達に成れればいいと思う。

そして、市民レベルで、フェイスブックレベルで、

地球人と成れれば、それも面白いと思う。


しかし、もうひとつ、壁がある。

それは、良くないことに使われる事。

オープンにしたいけど、怖い。

これが、大きなコミュニケーションの壁になる。


フェイスブック、この良きコミュニケーションの道が、

楽しいだけの道になり続ける事を、

祈りたいと思います。




ありがとうございました。