離婚理由。

すみません。突然、前からスキでは無かったブログ名を勝手ながら変更させていただきました。

アメリカにいるとき、離婚率50%と聞いた事がある。そこで、色々と、世界事情が書かれているサイトをみていると、最近では、ロシアが一番多く、韓国も三番目位になっているようだ。以外にもイタリアが、少ないようで、カトリックの影響は大きいという事らしい。紳士の国のイメージの強いイギリスでは、40〜50%と多い。理由の一つとしては、女性の経済的自立が多いのもあるようだ。

日本も、増えて来ているようなので、心配でもあり、考えてみるべきかも?と思ってみたりしました。

離婚理由の一番多いのが「性格の不一致」と統計であるのを見ました。違う表現で、「性格が合わない」というのもあった。芸能人の離婚の理由には、「すれ違い」もよく聞くと思う。

多分、幾つかの理由が重なって、離婚という事態になるのだろうと思う。これを解決すれば、でなくて、あれもこれもと云う事かもしれないと思う。

今回は、その中で、第一番目の理由に挙げられている「性格が合わない」という事について、自分なりに考えてみようと思いました。

自分の事を考えてみると、性格があっているとは、やはり言えないと思う。これは、折に触れ、お互いに、その類の信号は発せられて来たと思う。それは、やはり、現代人は、精神的負担が大きくなってきているのかもしれないと思う。

一般的に、人間は、考えを曲げない動物かもしれないと思う。嫌いになったら嫌いだと思う。いくら、誰が仲裁しても無理な様な気がすることはある。

昔の人が、結婚は地獄とか、牢獄とか、とんでもない事を言うと、若い頃には思っていたが、一面をついた言葉ではあると思えるようにもなった。

結婚は、ばら色!それに決まっている。それでなくてはいけない。人生の最大の喜びのイベントが結婚式でもあると思う。

しかし、何度か訪れる、危機もある。乗り越えられて来たのは、女性の忍耐力の賜物かもしれないとも思う。その都度、勉強した、させて貰った思いもある。

そもそも、結婚のスタートから、「性格が合わない」ではないが、「性格が同じではない」ところからはスタートしたと思う。ここが良かったのかもしれない。「同じではない」と「合わない」は正確には違うが、「同じではない」と思っていると「合わない」もそんなに深刻な問題ではなかったのかもしれないと思う。

結婚前、広島の流川(夜の繁華街)で、手相観のおばちゃんと出会った。勿論、街角で商売されているところに、何気なく、遊び心万点くらいで、立ち寄って、観て貰ったことがある。おばちゃん曰く「あんたら、真反対じゃね。」と一言、。きつい一言だったと慌てた。この一言は、この後、忘れられない一言になった。

真反対。これ以上の言葉は無いくらい、「性格の不一致」。リアクションは難しかった。というより、出来なかった。

更に、おばちゃんのきつい言葉は、続いた。「まるで、あんたら二人、鏡を見ようるようじゃねぇ。」、続いて、「これほど、真反対の人は見たこと無いわ。」と続いた。

「性格の合わない」、極みなのだ。自分の立場としては、ヤバイと思った。

この言葉、女性の方は何と受け止めているか、その時、聞く勇気も出なかった。

おばちゃんとしては、これだけ真反対だから、多くのアドバイスをくれようとしたのだろうと思う。家を尋ねてくるように言ってくれた。また二人の顛末にも興味があったのかもしれない。しかし、忙しくに忙殺されてか、尋ねる勇気が無かったのか、その後、再びお会いする事は無かった。

その後、心の奥に、このおばちゃんの言葉は封印する事となった。

結婚後、封印していても、心の奥から離れる事は無かった。

何か、事件が起きる度に、この言葉は、頭をもたげて、絶望に引きずり込まれそうだった。

だめかなァと何度か思ったと思う。

今年で、結婚まる29年が来る。

実感は、何とか来た、かも知れない。

順風万歩とは、行ってはいないと思う。

なぜ、来れたか?それは、あのおばちゃんのあの言葉が、反面教師のような役目をしてくれたのかもしれない。そもそも、全く合わないのだから・・・、というところからの考え方も、努力もあったかもしれない。危険回避の考えも、行動もあったのかもしれない。

出発点に、初心に「性格が真反対」、「絶対に合わない」と宣告されたのは、逆に良かったのかもしれない。

例えば、アウトドアの人間と、インドアの人間が、いかにアウトドアを楽しむか?難しいが、簡単な部分も大きい。それは、相手がインドアの人間だと解ることが、こまごました問題を起こさせない。インドア向きの人間にいかにアウトドアを楽しませるか。この思考、プランニングが成功すると、してやったりと面白いと思えた事もある。

例えば、TV、見たい物は、難しい。ドラマを見たいのと、野球を見たいのとは、相容れない。どうするか、別の部屋に行くかどうか。決してと言っていいほど行かない。同じ部屋、つまり、リビングで、何かをする。譲る、譲られるのいい関係も、生まれた。大事な事は、一つの部屋に居るという事だと思う。

TVのボリュームも相容れない。迫力満点が好きと、うるさいと感じる事も相容れない。これは、うるさいに勝てた事は無いと思う。

・・・。多くのことが、あの、おばちゃんの言っていたとおり、真逆と感じる事は多かった。

なのに、どうして乗り越えてきたか?不思議に思う。

ただ、初めから、お互いが、それによって、よく見えたことが、良かったのかもしれない。ほぼ、お互いに、期待はずれは無かったかと思う。相手は最初から、嫌だと思っていると、思ってかかるから、なんで?とか、まさか!は起きなかったと思う。

相手が読めると、程度も解るし、これ位ならいいだろう、これ以上は止めておこう、とも、理解、納得もできたと思う。

「性格の不一致」。これは当たり前かもしれない。「性格の一致」を求めるのはかなり、難しいかもしれない。

いや、一致は面白くないかもしれない。とも考えてきた。違うからこそ会話があり、違うからこそ面白いと思ってきたと思う。

世の中に、「性格の一致」、似たもの夫婦というご夫婦もおられるが、羨ましいと云うこともあったと思う。面白い事に29年も暮らしていると、似たもの夫婦になってくるらしい。真逆の性格の夫婦も、似たもの夫婦に、見えてくるのも不思議な現象だと思う。依然、今でも、当人同士は「真逆な性格」と思ってはいてもだと思う。

結論は、何か。何が言いたいのか。

一つは、時間は確かに薬だと思う。

一つは、不一致も、前もって、解っていれば、怒るまでの事でもないかもと思えると思う。

一つは、大儀を忘れない事。結婚式で誓ったこと。自分の誓いをホゴにする事は、自分の人生をホゴにすると思う。

一つは、相手の幸せを、自分の幸せより優先して考えられるかは重要だと思う。これは最も難しいと思う。感情に走れば、総てを忘れてしまうのが人間だと思う。

一つは、「ありがとう」と言葉に出して、言うようになったことも大きいかも知れないと思う。初めは言い難いという感情はあった。しかし、1回だけ言うと、言葉にも重みがあり、意味深だったが、それを続けると、ただの挨拶のようになったと思う。しかし、相手には、いつまでたっても、「ありがとう」の言葉は意味深なのだと思う。アメリカ人のサンキューと言う言葉は簡単なのだが、日本人にとって、ありがとうは軽くは使いたくない重みもあると思う。しかし、あえて、ありがとうを軽く使ってくださいとお願いしたいと思う。

つたない人生を、振り返りながら、反省をしながら、書きなぐってしまいました。もし、お気に触る事がありましたら、ジジイのたわごとと、お許し頂きたいと思います。



ありがとうございました。


p.s.

離婚に決して反対しているわけではなくて、賛成しているほうかもしれない。

人生は、一回しかない。貴重な人生だと思っている。

幸せな人生を誰もが望んでいると思う。

幸せな結婚も、一つの選択肢なら、そうでない場合の離婚も選択肢だと思う。

人それぞれの幸せ、人それぞれが見つけるほか無いとも思う。

最善を尽くせれば、と思う。


ありがとうございました。