音。良音。雑音。

音について最近、考え込む事が多くなった。

雑音の中で、多くを過ごしてきた人生だと振り返る。

雑音とは、嫌な言葉という意味でなくて、純粋に『音』そのものの意味ですが。

嫌な言葉の雑音も、大きなストレスの原因には、間違いないと思いますが、気が付いて来なかった、純粋な音の「雑音」とストレスについて考えてみたいと思います。

自然の音と、人工の音。

一応、小さくても都会(地方都市広島、呉)に住んで暮らしていると、聞こえてくる音は殆ど、人工の音のような感覚がある。自然の音を、朝、起きたときから、夜、寝るまでを、頭の中で追いかけてみる。

家族との会話、・・・、なかなか見つからない。人工の音に、終日、かき消されている思いがする。仕事の中では、なかなか見つけられないと思う。

休日はどうだろう。都会を離れられるほどの休日は殆どないので、やたら思いをめぐらす。郊外で感じられる一番目は、風の音、それから、海だったら、波の音、山だったら、小鳥の鳴き声、木々のそよぐ音、小川があれば、水の流れる音・・・、想像力も貧しいほど、人工の音に慣れてしまっている。

考え続けていくと、そもそも、人工の音と自然の音の境もつけ難い事にも突き当たった。

例えば、ピアノの音。人造物から出てくるから、人工の音?と思う。

考えてみれば、自然の音は良い音、と決め付けた感覚があったのにも気が付く。つまり、良い音は、自然の音、悪い音、つまり雑音は、人工の音と、感覚的に捕らえていたかも知れない。

同じ風の音でも、そよぎの風の音は良い音で、暴風の風の音は雑音を通り越して、恐怖の音となる。

人工の音で、良い音も、先ほどのピアノをはじめ、多く存在することにも気が付く。

同じ音でも、人によって、良い音になったり、雑音になったりもする。ピアノの音もそうだし、車、バイクのエンジン音などはその典型かもしれない。

では良い音とは、何か?悪い音、雑音とは何か?と思い始める。

良い音のとは、たぶん、ストレスを軽減し、安らぎを与えてくれ、心豊かにしてくれる音と思ってみると・・・。どうでしょうか。

一日の生活の中で出会う多くの音の中に、良い音に触れる機会はどれくらいあるのだろうか。出勤日、仕事に追われ続けているお父さんには無いと断言できる程ではないかと思う。という事は、雑音の中で、ストレスを発生させられながら、長くの時間を過ごしているのが現状だと思う。

年々、世の中がイライラの方向にシフトしているような気もする。このことと、良い音、悪い音の係わり合いはどうだろうと考えさせられる。

大人でも、この日常の多くの雑音に知らず知らず、蝕(むしば)まれているかも知れない。子供の世界はどうだろうと思いを巡らせてみる。きっと、少ないだろうと願うが、案外、そうでは無いかもしれないと心配も起きてくる。もし、雑音に囲まれた世界で大きくなった子供は、果たして、心豊かな大人になれるのだろうかとも心配する。

文明社会、イクオール、イライラ社会になってきている事は、感覚的に感じている部分も多い。

もし、良い音で、人間の気持ちが、やさしくなれるなら、ストレスが減少し、豊かな心に慣れるなら、雑音をの中和をしてくれるなら、良い音に触れる価値はものすごい。

真空管アンプを通じて思うこと。それは、TVのデジタル音も、雑音に聞こえだした。もちろん、許容範囲ではあると思いますが。蓄積されると、知らない間に、許容範囲を超えるかもしれないとも思う。

良い音に触れること。それは、やはり、ストレスのリセットに必要と思います。休日には良い音を探してみたい、触れてみたいと思う。

ひょっとすると、風景もそうかもしれない。人造物の、建造物に囲まれて生活している日々。休日に人造物を離れて、自然の風景を見、接するのは、やはり大きなストレスの解消かも知れないと、改めて感じ始めました。

良い音を聞き、囲まれて、良い風景を見る。贅沢な事なのだと感じ入ってしまいました。

何気ない、自然の中の生活、そこに、ものすごい価値があるとは・・・。感謝です。




ありがとうございました。




















後日に続きます。