国会運営が大詰めに来た。

ゴールが、予算決定。

このゴールに向けて、てんやわんやというのが、素人の素直な感想だ。

一番は数による綱引きの、そのための数取合戦。

法案を良いから、可決しようとすることより、数で強行突破しようとして、いるように映ってしまう。

大前提に、いくら良い法案でも、全員大賛成で通過という事はない、となっているように見える。いや、良い法案ではないから、賛成者が少ないとしか思えない。

昔から、野党は常に反対してナンボの感じだ。国会って国民の代表が討議するところでしょう。党の優劣を決める場ではないでしょう。

ここで、素人の疑問

なぜ、つるもうとするのか?

小中高を通して、学校では、自分の意見を言いなさいが、教育の根底にあると思う。

しかし、逆に、国会ではつるんで、党の代表の言う事を聞きなさいとなる。これは完全に封建社会だ。民主主義の国の法案を決めるのにつるんでしまう。つるまなければ、出て行けとなる。これでは、党の為に一票強制されていることになる。

一人一人の議員さんは、それぞれの故郷の代表ではなかったのか。日本の為という概念より、党の為の概念を優先させてしまうのかと見えてしまう。

考えを同じくした人達がつるむのは良いと思う。しかし、それは、勉強会レベルまででいい。採決の時に、自分の意見でなくて、党の意見で票を入れてどうすると言いたい。

党の責任者は、もし、法案に自信があれば、党員に強制力を発揮する必要も無いはずだ。単純にこれは、良い法案ですから、・・・だけで良いはず。法案に自信がないから、高圧的に、強制的に、票を得ようとするように見えてしまう。

投票する前から、票が計算できて、賛否が分かってしまうなんてこっけいだ。形式だけの採決なんてしなくてもいいことになる。

素人の疑問

政治哲学に精通しているのか?

精通していない人こそ、辞職したほうが良い?

昨年、ハーバード白熱教室がブームになった。

その中で、ジョン・ロックとかイマヌエル・カントとか歴史上の哲学者の哲学が講義された。

日本の政治家の中で、この二人の哲学を習得しているという議員は何人いるのだろうか?

ご自分の哲学を持っているのかとお聞きしたい。

もし持っているのなら、自分の意思で、賛否に一票投じるはずだ。もし誰々先生に言われたから、党に云われたからというのでは、ご自分に投票してくれた、人々の意見を代表しているとはいえないと思う。

いや、知らなくても、日本に対する思いは熱いよと云われるかも知れない。ならば、なお更、政治家は、最低でも、哲学を知らなければならない。

なぜなら、哲学者こそ、人類の幸福と、その方法を考え抜いた人達はいないのだからと申し上げたい。

ハーバードの学生と、国会の討論を見て、比較すると、恥ずかしいと感じてしまう。言い換えれば、熟考した議論、戦いと、目先欲な本質を欠いた言い争いの違いに見える。

中卒でも、高卒でも、大卒でも良い、天才なら別だが、そうでなければ、議員に立候補するならば、300万円積ませるより、哲学のテストをした方が懸命だ。もちろん、その哲学のテストにパスしなければ、立候補すら出来ないようにするべきだ。

国会議員になってから、勉強ということも多いとは思いますが、・・・。

党の云う事のYESマンを当選させるために有名人を立候補させるなんて、国民の幸せを、本気で考えているとは云い難い。こっけいだ。

素人の疑問

悪法なのか、良い法案なのか?

数でごり押ししてまで通す法案は良い法案なのか?

邪まな法案を通そうと思うから数の原理とやらが必要になる訳だ。良い法案は通過する、悪いから通過しないということだけで良いのではないか。

単純だ。

数の原理を駆使してひょっとして、良くないかもしれない法案を通過させようとしてどうなるのでしょうか。

最近では、社会構造に大変革が起こった、規制緩和は良かったのか?これもごり押しではなかったのか。

ごり押しで通過した法案の、その後は、総て、良い法案だったのか検証していただきたい気もする。

一番心配だったのは、安部総理のときの憲法改正論、第九条の問題だ。多くの犠牲の反省の上に出来た、貴重な憲法を、近年の目先の情勢で変えようとした。トップダウンのYESマン議員の、数の原理で押し切られずにホッとした思いがある。



ありがとうございました。