ネバダ核実験1951年1月27日の日。

今日が戦後アメリカが核実験を最初にした日として、核兵器反対の日となっているようです。核廃絶の座り込みもされたようです。

あるテレビ番組で、核兵器は不要ではないかとインタビューされた、一人のアメリカ人が言っていました、「攻撃されたらどうするんだ?」 これが多くのアメリカ人の心中だろうと思います。

自分で自分を守る。これが脈々と受け継がれてきた鉄則のようなものだと思います。

日本のように警察力が、世界一と云われる国でも、強盗、殺人は珍しくありません。面積が25.5倍ある国土で、人口は2倍です。警察力の目の届かないところだらけと云って差し支えないと思います。

警察力の届かないところ、近所の目の届かないところで、強盗に入られたら、どうします?素朴な疑問です。西部劇のシーンの様な世界がいっぱいあるわけです。貴方が家族を残して、町に出かけなければならないとすると、貴方は残される妻子に何と言いますか。悪人が来たら、「ここに銃があるから、これで身を守れ。」とは言い残さないでしょうか。

日本でも、銃を持っていたら、殺されたくてもすんだかもしれない殺人事件は最近、増加の傾向にあると思います。

しかし、銃所持を推奨しているわけではありません。アメリカにいた9年弱、銃を所持したことは、幸い一度もありませんでしたし、事件に巻き込まれることもありませんでした。

アメリカの長い歴史が、自分の身と家族は自分で守るという哲学も習慣も出来上がっていることを理解して、その上で未来の話をしないと、話がかみ合うのは難しいのではないかと思います。

アメリカで、銃による殺人事件が起きたら、必ず、新聞に、銃規制についての投稿があります。内容は、決まって、すべきだ、何故出来ないんだ、と書かれます。まるで、アメリカ事情は考慮せず、の、この手の投稿は、力になるとは到底思えません。

相手に届く言葉は、相手を理解し、相手を思いやって、相手の為のアドバイスで、それでも、届くか届かないか50%、50%の確率でしかないかもしれない。

それを日本の事情に当てはめて、日本のように、何故しないんだと云っても、解ってないね、と思われるだけのような気がします。

核廃絶の問題も、銃規制の問題も、根は同じところから出ていると思います。繰り返しになりますが、自分の命は、自分で守る。自分の国は自分で守る。だと思います。

だから、核廃絶とアメリカに向かって、抗議をしても、なかなか、現実問題をクリアできません。しかし、戦争反対なら、何倍の確率で届くはずです。現実に、戦争反対の運動はアメリカで大きく育っているわけですから。

何故広島の人は、戦争反対を言わないで、核廃絶だけ言うのか、同じ広島人、被爆2世としても戸惑いがあります。世界平和が理想で、目的ならば、戦争反対の方が、世界中の人の心に届くと思います。

私は戦争反対です。

攻撃されたらどうするんだと言う議論が必ずあります。貴方の家族が殺されたらどうするんだと、必ず、言われます。もちろん個人レベルでは、絶対に許せない、敵討ちあるのみです。そういう感情に生身の人間ですからなります。しかし、それは、あくまでも個人レベルです。戦争は国のレベルで考えなければなりません。どうでしょう。仕返しすれば、またされ、被害は確実に、更に大きくなります。戦争は、個人のレベル、感情レベルで考えては、絶対にいけない、という事が明白です。

本当に出来るのか?と聞かれたら、解りません。自信があるとは言えません。

しかし、戦争でなくても、事件で肉親を失われた方々は多く居られます。それは、法に乗っ取って粛々と処理されます。まるで、被害者の無念さは無視されるかのように。被害者の方には本当にお気の毒な事だと思います。

難しい問題ですが、もう、2度と先の大戦の二の舞は要りません。

有事に備えるということは、銃を所持するという事と、同じです。銃が不要と言うのならば、有事の備えも要らないという事と同じです。

例外事項は要らない。何があっても、
世界平和!心の真ん中にいつも仕舞っておきたいと思います。



ありがとうございました。