The Sixtiethのブログ

自分なりにですが、人生の不思議を考えています。

2011年05月

東日本大地震&津波を検証。

東日本大地震&津波を検証。

素人の目で検証してみたいと思った。

ユーチューブにアップされている動画をかなり見てみた。

東日本大震災の犠牲者数は死亡、行方不明を合わせると約2万5千人位。この犠牲者の数を減らす術はあったのかどうか。

まず、ライフジャケット。これさえあれば、溺れて亡くなられた方の多くを救うことが出来たのではないかと思う。

車。車は棺おけと化した。流される状態になると、もうドアは開かない。エンジンが止まり、バッテリーが水でショートすると、電動式の窓は開かない。全く閉じ込められた状態で、押し流されたり、最後には水没したりと云うことになる。

脱出は全く不可能となる。脱出するためには、ハンマーのような物を用意し、窓を割らなければ脱出することは出来ない。

車の中の必需品。それは、ライフジャケットとカナ槌と云うことになる。

しかし、津波に流される車を見ながら思った。もし、窓が、手動で開けることが出来たら・・・。きっと多くの人が脱出したに違いない。

これからの車は、絶対に、電動式の窓にプラス手動式の窓がいる。もし、手動で窓が開けられれば、脱出できる。

津波に対する、車の安全性はゼロだと思った。

もし、開かないなら開かないで良い。完全密封されて、いつまでも浮き続けられれば、それも、一つの方法だと思う。車が安全カプセルに早代わりできるなら最高かもしれないとも思う。例えばエアーバッグの考え方の活用とかで簡単に実現出来そうな気もする。

しかし、映像で確認すると、当日は、みぞれ交じりの小雪が降っていたようだ。車を脱出できて、ライフジャケットで水上に漂う事が出来たとしても、タイタニックの映画の最後のシーンのように体温を奪われ命を落としたかもしれない。

しかし、それでも、救助される確率は高まっていたのではないかと思う。

これが、寒い冬でなかったら、その確率は、もっと上がるような気がする。

車に、津波に対する安全対策が、東日本、東海の人々の車には特に必要ではないかと感じました。

現行では、車にハンマーとライフジャケット。家にライフジャケット。津波対策の準備品に付け加えておいた方が良いと思いました。


ありがとうございました。










原発の安全性。

原発の安全性。

世論では原発は危険と云う意見が多い。

果たしてそうなのか。

原発の安全を失わせたもの。

その一つは、経営優先の判断。

もう一つは、素人による、政治的判断。

ではないかと思う。

純粋に、科学者の判断を最優先していたら、危険はかなり回避されていたのではないかと思う。

この考えは、誤りだろうか。

もう一つ、日本人の集団心理もあると思う。パニックに陥りやすいと判断すると、それを回避する為に発表を考えることもあると思う。

諸外国から見ても、情報が開示されていないと批判される。

そこにも、会社の面子が加わり、政府の面子もあると思う。

そして、純粋な科学者の声は聞こえてこない。

今日の紙面に、「2,3号機にも炉心溶融」を考えないといけないと、細野首相補佐官が見方を発表したとある。

なぜ、政治家?と思う。これは、科学者の判断ではないのかと思う。

歴史には、科学者の純粋な意見を、曲げた政治判断、それに惑わされる、流される国民、つまり今で言う民意がある。

ガリレオの地動説は誰でも知っている。

こんな一大事に、純粋な科学者の意見はスムースに、タイムリーに実行に移されているのか。

これが、最大の人災ではないかと心配する。

ここまで来ても、政治判断が最優先される。

じつにまどろこしい。

こんな事は起きていないのだろうか。


ありがとうございました。


p.s.

浜岡原発の菅首相の判断はすばやいと評価されるが、科学者の間では既に数年前から指摘されていたという。

という事は、科学者にすれば、やっと、政治家が決断してくれたという事になりはしまいか。

3年前に、科学者の指摘を聞いて、決断があれば、操業を停止しないで安全性を高められていたかもしれない。経済への悪影響は避けられたかもしれない。

ここにも、科学者の指摘に、経営判断が入り、政治判断は、見ぬ振りだったのかも知れない。

事実は、後から出てくる。

そのたびに、後手ではないかとの意見が、庶民には本当のように聞こえる。

本当に国民の安全が最優先といわれる、政治判断がされてきたのか。どうだろうか。

原発の安全神話を壊したのは、科学者だろうか、経営者だろうか、政府だろうか。



ありがとうございました。










バラ祭り&鞆の浦。

バラ祭り&鞆の浦。

いつも、突然に、いつも、自由に行動を起こしてしまう。

今年は、行けないと思っていたバラ祭りに、突然、時間が取れて、行ける事と成った。

午後2時半出発。

到着は4時過ぎだったか。多くの人が帰宅についているのを逆行して、会場に向かう。

今年の元気な美しく咲き誇っている薔薇を見れればそれで満足。

にぎわいはピークを過ぎてどころか、屋台は帰り支度、人もまばらだった。

しかし、天気も最高で、日は高くなく、低くなく、ベストコンディション。気温も高くなく低くなくベスト。風がベストの春の心地よい風だった。

まばらな人の込み具合は、さっさと、薔薇を見て歩くには最適だった。

写真を撮るのにも、待つことなく、好きな薔薇をばしゃばしゃ出来た。

今年は、最高に花に恵まれる年となった。4月初めに行った夜桜、花見。いたる所で長く咲き続けてくれた春の桜。5月初めの音戸の瀬戸のつつじ。そして、今日の福山の薔薇祭りの薔薇。

花の女王は?と成ると決めるのは難しい。すべてが、うつくしい。

見る人の心まで洗浄してくれる。

誰にも、何にも負けない自己を頑として主張する、それぞれのうつくしさがある。

最近、気になる良い音、良い風景。そして総てを含んだ自然。

生活の為のばたばたの間を縫ってでも、わざわざでも、出かけてみると、その甲斐ははあった。

薔薇の花たちの微笑みは、やはり最上の微笑みに見える。

短い時間に堪能して、会場を後にした。帰路、気になる、鞆の浦経由で帰ることに成った。

何しろ、無計画の訪問に、車のナビはありがたい。かなり、迷うことなくこの辺だろう、鞆の浦は、と思えるところまで、直行できた。

日が暮れる、直前辺りの瀬戸内海は美しい。

全くゆっくりの時間はなかったが、車中からのだけの眺めでも、瀬戸内海の美しさを感じさせてもらった。

やはり、瀬戸内海の海岸線の美しさは世界に誇れる。

ポニョの古里のこの辺りは、いつも見慣れている、広島、呉、竹原の瀬戸内の海岸と違う表情を見せてくれる。

鞆の浦は、現在バイパスを造るか否かで、もめている最中と云うことは、度々のニュースで知っていた。それも、肌で感じてみたかった。

突然の訪問は、それの問題の問題点と出くわす羽目となった。、昔ながらの細い道は、車の無い時代のまま。その幅は、何処の田舎町にもある細い道と同じだ。しかし、何処の町の細い道にも、近くに、車が通れる片側一車線の道はある。

前方に車が路肩に寄って止まっている。抜かそうとした視界に、更に前方の車の鉢合わせでバックしてこようとしている車が視界に入った。すぐに、バックをして事なきを得たが、これが日常茶飯事なのだろう。

迂回路なしで、この鉢合わせの中に生活している人たちの気持ちは、凄く伝わってきた。この鉢合わせは、我慢できる限界をきっと超えていると、誰でも思うと思う。通りなれた地元の人達だけなら、まだ、要領も得て、と云うこともあるだろうが、ここに、新参者が、自己主張して加わるものなら、1分で通過できる道も、何分、何十分かかるか解らない所まで、イライラは増幅されるだろうと思う。

なんとも、難しい問題だと、訪れて感じた。

本当に、この景観は捨てがたい。うつくしい。

しかし、あの道路を利用して、生活するのは困難極まるだろう。

しかし、どちらかに一票投票しろといわれたら、申し訳なく思いますが、あの景観は捨てがたい。

なにしろ、何処にでもある、瀬戸の風景とは、ちがう、うつくしい風景だから。

近々、かならず、時間を作って、訪れてみたいと思います。

短い、ドライブの間に、強烈なインパクトを頂いた、鞆の浦でした。

ホームページを下に入れておきます。

http://www.tomonoura.co.jp/index.html

http://www.tomonoura.co.jp/sen/index.html




ありがとうございました。

p.s.

薔薇祭りの会場に、10年後の自分に手紙を書くコーナーがあり、迷っているうちに、閉店になってしまった。

十年後の自分、どうだろう、元気で居るだろうか。出して、はたして、自分で受け取ることが出来るのだろうかと、迷う還暦60歳になる自分が居る。

閉店されたら、後悔の念も少し沸いてきた。出しておけばよかった。「げんきでいますか?」だけでよかったのに。

娘は、中学生の時、訪れて、書いたらしい。すっかり忘れていたらしいが、それを思い出したみたいだ。その手紙が、あと少しで届くだろう。何を、思い出し、何を感じるのだろうか。

面白い企画だと感じました。

そうそう、昨日の中国新聞の投稿欄に、体験された人の話が載っていたのが、あった。


ありがとうございました。




















攻撃的な性格。

攻撃的な性格。

男には、性格に攻撃性の一面を持っている人が多いし、生まれつきそう造られているとも思える。

類人猿から、人間へ進化してきたときに、大まかな男女の役割分担も出来てきたのではないかと思う。

男は、獲物を獲得する。

それには、性格的には、強い攻撃性が必要とされる。

女性は、子供を育てる。家庭を守る。

それには、性格的には、大きな母性がはぐくまれてきたのだと思う。

女性の社会進出と共に、昔ながらの性格が変化してきていると思う。

いわゆる一言で言われる、女性の男性化は、かなり目に付くようになった。

そこには、良い面も多い。

しかし、男から見ると、求める女性像とのギャップに戸惑うことはある。

女性は優しいものと決め付けているから、攻撃性の強い女性には、後ずさりする。

この成長してきた文明社会に於いて、男の攻撃性は、コントロールされるようになってきたところもある。攻撃性の性格も、長く付き合ってきているから、コントロールの仕方も解っている所は大きい。

しかし、慣れていない女性にとっては、攻撃性の性格のコントロールが巧く出来ないことはあるのではないかと思う。

攻撃的な性格以外に、昔から、ヒステリーと云う言葉はあったし、最近では、更年期障害と云う言葉まで、似たように攻撃性を出すことも感じる。

女性の社会進出が、女性の性格から見て、女性自身にプラスとなっているのかどうかとも考えてみる。

本来、攻撃的な性格を持たない女性が、戦場、戦闘状態の攻撃的場面の連続する現場は、女性にとって果たして幸せな環境なのかどうかと思う。

男が弱くなったから、と女性は言う。しかし、この平和な世の中、男の攻撃性は殆ど、必要ではないと思う。かえって、無いほうが良いと思う。その方が本当に平和だ。喧嘩、犯罪、挙句は戦争。攻撃性が無ければひょっとすると回避できるかもしれない。

男に、攻撃性がなくなってきた、草食系になってきた。男は良い方向に進化してきているのかもしれない。それでも、女性は、昔ながらの肉食系の攻撃型バリバリの男がやはり好きらしい。

未婚の女性が増えたのは、肉食系の男が減ったのと相関関係があるのだろうと思う。

攻撃性の性格を持った女性も増えてきたと思う。男が獲物を取ってこないなら、私が取ってくるとばかりに見える。

ややこしい社会になってきた。男は攻撃性を潜める方向に、女性は攻撃性を高める方向に進化(と呼べるかどうか?)をしつつある。結果、攻撃性の逆転現象。男女の逆転現象に近くなってきた。

男から、女性にご提案申し上げたい。「もう既に、男女ともに攻撃性は入らないと思います。」と言葉まで攻撃性を失ってきた。

昔なら、男は少なくも、攻撃には迎撃していた性格も、今では、争いを避けるため、迎撃すらしない、かわす一手だ。そこを女性は気づかない。こんな男は弱虫、小虫と判断をされるようだ。

ともかく、攻撃的な女性の性格は、苦手だなぁ、何とかして欲しいと切に願う男は増えてきていると思う。

女性は、やはり太古の大昔からのように、『やさしい』が一番と思うわけですが・・・。

しいてお願いするなら、攻撃性の中にもやさしさを!と最低限のお願いも届くかどうか。男は既に攻撃性の中にやさしさは手に入れたつもりではあるのですが・・・。いやいや、そうとも言えないか。千差万別ですね。ややこしい。ややこしい・・・。


ありがとうございました。








原発と未来エネルギー。

原発と未来エネルギー。

未来のエネルギーについて考えてみると・・・。

世論は福島原発事故とその事後処理において、その結果、原発に反対の風向きが強い。

原発は怖い。放射能は怖いとのイメージは人々の心に深く突き刺さった。

それにつられて、政府も、その方向のようには見える。

これらの動きは、ショックによる、一過性のものなのか、どうなのか。

実際はどうなのだろうかと思う。

安全性に100%担保出来ないという方向なのだろうか。

本当に、政府は、代替エネルギーを本気で探してくれる方向なのだろうか。自信はどうなのだろうか。

浜岡原発停止、そして、再稼動の為の防波堤を完成させるのに2〜3年かかるとある。

という事は、その後は、稼動させる方向に受け取れる。つまり、

原発の危険は、地震ではなくて、津波だけという事の様に受け取れる。

菅首相は、原発を含む未来のエネルギー政策は白紙に戻してと発言はされてはいるが・・・。

原発で大事な事は、事故予防が100%出来るのか?ということと同時に、事故後の処理が100%出来るのかという事がもっと大切だと思う。

予防は万全です、だけでは、もはや足らない。もし、仮に、どんな事故が起きても、安全処理は万全に出来ます、といって貰わないと、信用する気持ちもなかなか湧いては来にくい。

今日のニュース(5/13)で、炉心のメルトダウンが起こっていると東電が認めたと報じられた。

対策が後手後手なのか、読みが浅いのか、それとも手に負えないのか、国民の期待を裏切る形で、対策は遅れ、事態は更に悪い方向へと深刻の様相に、はまっていく様に見える。

将来、原発の開発を続けるならば、今回の事故で、多くを学ぶ事が出来、予想されている東海地震も予防も対処もできる、と言い切って頂けなければ、国民の安心は望めない。

地震で、総ての社会の諸問題が棚上げされた。

大事な景気対策は、景気対策どころではない。対策どころか、逆に、景気の悪化を甘んじて受けなければならない方向に、舵は取らされている。

浜岡原発の停止の影響が、経済的にどのように影響が出てくるのか。分析されたのだろうか。政府の見解は、分析の問題ではない、例へ、分析結果が良かろうが悪かろうが、浜岡原発は、即、止めなければならない、という結論のように見える。

3年以内に、東海地震は発生し、津波が襲ってくる、との結論だと思う。起こり得る確率は決してゼロでは無いからという理由だと思うが、残念ながら、昔から、災害は忘れたころにやって来るという。

もし、3年以内に東海地震が、発生したら、菅首相の英断は、歴史に大きく残る事となると思う。

もし、3年以内に東海地震が、発生したら、原発問題が無くても、日本は滅びるかもしれないとも思う。

東海、名古屋、関東、東京が被害に合い、それらの機能が麻痺したら、不全に陥ったら、本当に日本沈没になると思う。原発の放射能汚染に滅ぼされる前に、地震、津波の打撃そのもので、即、壊滅となるかもしれないと思う。

神がそこまでの試練を日本に与えられるはずは無いと確信したい。願いたい。

菅首相の頭脳に、舞い降りたモノは?一体、何が起きたのだろう。余りに唐突な発言に見えてしまった。

目先の恐怖に慄き、浜岡原発を止めるなら、その間の3年間のビジョンが求められると思う。国民に我慢一辺倒では、納まらないと思う。経済も只でさえ、景気対策が功を成さない中、この新たなエネルギー規制が、更なる、どれだけのマイナスを引き起こすかの把握は必須だと思うし、その対策は、現在、節電以外何も示されていないが、何かプラスの発想が必要だと思う。

ここ数年、国内では、多くのことが、電化の方向にシフトして、電気の需要は増えても減る事は無い。

コンロ、ストーブ・・、安全とクリーンと自然エネルギー保護にと、電気の力は欠かせない。

もし車が、更に、純粋な電気だけの電気自動車に移行すると、電力の需要は、どれだけ必要になるだろう、伸びるのだろう。現在の電気使用量の何倍になるのだろうかと思う。

20年先、30年先の、子供達の時代には、そのころには、現実の問題となると思う。

原発に代わる自然エネルギーは、需要を満たすほどに、本当に開発される事が出来るのだろうか。勿論、それが出来れば、それが理想ではあると思います。原発は無用にすることが出来ます。しかし、それが不可能であるならば、原発に頼らざるを得なくなると思います。

もし、原発を人類の英知で100%安全に動かす事が出来れば、未来の子供達も、永久に、人類はエネルギーの心配をしなくても良いかもしれなくなります。

今回の福島原発の事故を、最大の不幸な事件で終わらすか、メルトダウンまで、経験した、日本が、これを良い糧に出来るか、良い糧にして、世界で最も安全な、ほぼ100%安全な原子炉を造ることが出来るかが、真に問われている時期に来たと思う。

個人的には、日本の科学者に原発の安全性確保が出来る事にかけたい。どんな困難も乗り越えてきた日本人だから、今回の事故を教訓に、100%安全な原子炉が完成すると願いたいし、信じたい。

東日本大地震の早い復興の為にも、あらゆる場所での電気の力は、必要であるし、大きい。最も大きな力が電気かも知れないと思う。

もし、100%安全な原子炉が完成すれば、最も、諸外国に輸出できる、車をしのぐ商品は、100%安全な、メイドインJAPNの原子炉になるかもしれない。それが出来る事を期待したい。

未来の、エネルギーの為に、踏ん張れるか、日本の科学者の皆さんの英知に期待がかかっていると思います。個人的には、もちろん、やはり、豊かな生活の支えと、確かなエネルギー確保の為に、100%安全原子炉を期待したいと思います。

しかし、放射能の恐怖の真っ只中。上手く処理すら出来ない状態の中にある現段階、こんな話は、無理難題、出来ない、馬鹿げた期待なのだろうか。



ありがとうございました。

















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