The Sixtiethのブログ

自分なりにですが、人生の不思議を考えています。

2011年04月

交通事故を目撃。

交通事故を目撃。

4月28日(木)の朝7時半頃、目の前で事故を目撃してしまった。

朝のラッシュで、2車線の道路は車で溢れ、のろのろ運転だった。交差点に差し掛かり、目の前の信号は青のままだった。

追い越し車線の車も止まり、走行車線を走っていた自分の車も、交差点を塞ぐことを避けるため、信号は青のままだったが、交差点の手前側で止まった。

そこへ、対向車線で、右折しようと待っていたセダン型軽自動車が、右折を開始した。右の走行車線の車も、私も道を右折車に譲った。

最徐行しながら、ゆっくりと軽自動車は、私も前を通った。確認の為に、フロントが少し出た状態のところで、止まったかのように見えたその瞬間、私の車の左横を、バイクが通り抜けたかと思うと、軽自動車のフロントに激突し、進行方向に倒れながら、吹っ飛んだ。

あまりに一瞬の出来事で、頭も回らなかった。

軽自動車は、歩道に車を移動し、すぐに、介護にあたった。

それを横目に、渋滞の車に押し流されるようにその事故現場から遠ざかっていった。

当分の間、心臓の鼓動が高鳴ったのが、続いた。

冷静になって、事故を思い出すように、自分ながら、事故原因を分析してみた。

なぜ、事故は起きたか。

やはり、右折は相当の危険を伴うと改めて感じた。今回は、私も右隣の車も、右折をする軽乗用車を確認、容認していた。本来なら安全なはずの状況だった。

その先に、危険が潜んでいた。

その時の軽自動車の運転手の取った運転方法は、その状況では最善とも思える方法だと思う。最徐行しながら、ゆっくりと進み、再度、バイクの確認の為に、止まった様には見えた。軽の運転手から見て、私の車は、ワンボックスの営業車だから、バイクの走行は、見えなかっただろうと思う。軽のフロントは少し、私の車の左サイドより少し出た時だったと思う。バイクが私の車の左を通過した瞬間、ノーブレーキで軽乗用車のフロントに激突した。

一方、バイクの動きは、私は見ていない。停車もしていたし、前方の軽の動きに気を取られていた時間帯だった為、側方には、目がいかなかった。バックミラーも見ていない瞬間の出来事になった。バイクが視界に入ったのは、たぶん、私の車の助手席を通り過ぎたくらい、ぶつかる、ほんの直前だと思う。

この事故で、思うことは、右折は本当に危険がいっぱいだ。

例えば、今回のように、車の陰にバイクもいる。例えば、いないと思っていた、前方の横断歩道上に、自転車が、我に優先権ありとばかり、かなりのスピードで横切ったりする。自転車よりスピードは落ちても歩行者も同じ意識で、同じ行動をする。例えば、右折車にとって、対向車線の車はスピードを落とさない事もある。更に、逆にスピードを上げられることもある。そうなると、あせりは頂点に達し、アクセルを前方の待ち受けているかもしれない危険を顧みず踏み込まざるを得ないこともある。

本当に、右折は、危険だ。では、どう対処すれば良いのか。

右折の前に、対向車線に、車が視界にある間は止めたほうが良い。対向車線の車が、やさしい運転をする、譲り合いの運転してくれる保障は何処にもない。

これが、クリアしても、右折先の横断歩道上の安全確認は更に重要だ。これも、われ先の人だったら、こちらの車道上の状況等お構いなしだ。遠慮なく、ゆっくりと横断歩道を歩く。右折を完了できる時間は、車の速さの時間ではない場合が多い。最悪、自分本位のわがまま歩行者の時間で推し量らなければならないことは少なくない。

時として、右折先の、前方の横断歩道直前でブレーキ、又は、急ブレーキを余儀なくさせられる羽目になる。これは極めて危険な状況となることは、多くの方が経験済みだと思う。

今回の事故、きっと法的には、軽自動車の方に、大きい方に責任は多いと判断され、更に、右折車のほうに過失は大きいと判断されるのだろう。

悔やまれるのは、信号のある交差点、バイクは、青といえども徐行する気には成れなかったかということだ。これは、ご自分の体と命を守る、大きな価値のある運転方法だと思う。

もう一つ、車の運転手からお願いさせてもらえば、スピードを出して、車の左抜くのは、危ないと思います。今回の様に、右折車からは非常に見え難い事が多いと思います。抜くときは左。左が抜けないときは、抜くのを控える。それが安全のためには、交通弱者であるバイクの運転手の安全のためには、是非と、お願いしたいと思います。

交通事故は、双方に悲劇です。

やさしく、ゆっくり、譲り合い、安全確認第一で、今回を再度、教訓に安全運転に勤めたいと思います。



ありがとうございました。

p.s.

バイクの運転手の右足は大丈夫だろうか。ぶつかった際に、バイクと軽乗用車のフロントに挟まれたようにも見えた。そうでなければと願う。

バイクの車種から見て、若い人だろうと思う。そうだとすれば、これからの人生先の方が長い。後遺症の残らないことを祈ります。やはり、交通事故は怖い。何としてでも避けたいと思う。

もし、軽乗用車でなくて、自転車だったらどうかとも、思いを巡らせて見た。そうなると立場は、バイクが加害者となるかもしれない。

仕事が、車を使う仕事だと、走行距離も長くなり、リスクも大幅に大きくなる。ならば、何倍もの安全運転が必要になると、心に改めて言い聞かすこととなる。

安全運転の基本は、やはり、譲り合いの気持ちから、と云われる通りだと思う。


ありがとうございました。




















佐村河内守のCD発売。

佐村河内守のCD発売。

http://salonsystem.doorblog.jp/archives/51494765.html

  • 5. ラコ
  • 2011年04月24日 11:58
  • 5 >社長様

    ついに来ました!

    日本コロムビアが佐村河内守の交響曲第一番“HIROSHIMA”のCDを7月20日に発売します。
    (指揮、大友直人・演奏、東京交響楽団)

    安上がりのライブ録音ではなく、改めて莫大な金のかかるスタジオ録音をしたというから驚きです。

    しかも何と8月4日には同じ組み合わせで全曲東京初演が行われるそうです。

    ついに歴史が動き出したのですね。

    とりあえずCD発売が待ち遠しいです。

    7. ラコ
  • 2011年04月26日 11:08
  • 5 社長様、どうぞどうぞ。クラシック音楽誌『レコード芸術』5月号に現在載っている事実の記事ですから。




    というコメントを頂きました。

    CDはもちろん、即、購入ですが、東京公演8月4日は木曜日ですね。仕事がお盆前で絶対といっていいほど休めないですね。広島からだと最低一泊二日ですね。

    震災、原発の影響で、多くのイベントが中止され、東京も寂しい日々が続いているのではないかと想像していますが・・・。

    二日後の8月6日は広島で、原爆の日を迎えます。

    色々な意味を含んだ、すばらしい演奏会になるだろうと想像しています。

    東京の人がうらやましいですね。実際。

    昨年の京都公演を見られた方がブログ等で絶賛されていただけに、羨ましいですね。

    チケットもあっという間に完売になるのでしょうね。

    ・・・。

    是非、広島公演をお願いいたします。

    来年からは、8月6日の毎年のイベントになりますように・・・願う。



    ありがとうございました。

p.s.

ラコさんに紹介していただいた記事です。 

レコード芸術04272011a  レコード芸術04272011b





              ブログランキングに参加しています。右のボタンをクリックお願いできますか。




 p.s.

 同窓会のご案内です。

 広島大手町中学校42年卒3年9組同窓会ご案内。

 http://blog.livedoor.jp/salonsystem-otemachi42/archives/4813160.html


 ありがとうございました。








ギャンブル。

ギャンブル。

ギャンブルに勝つ方法。

第一はやらない。つまり負けない。
第二はツキがないと感じると止める。負けギャンブルはやめる。負けは最小限。
第三はツキがある時勝ち続ける。

実は、人生そのものも、ギャンブルという言葉もある。しかし、人生を第一のやらない如く、やらないわけには行かない。

選択は、第二と第三のみが残されることになる。

負けたから次は勝てるとか、負けるはずは無いと思っている人は、よく負ける。

例えば、コイン投げ、ルーレットの大小、の様に二者択一の50%確率で実験をしたことがあった。

3回続けて大が出たら、その次は大か小か?

よく出ている大が又来る。3回も続けて出たから、次は出ていない小が来る。と判断も二分される。

これが、3回の話から、更に13回連続で大が出たとしたら14回目は大でしょうか、小でしょうか。

答えはいずれも、如何なる場合も50%という事らしい。

昔、コンピュータで1万回、乱数を発生させて、シュミレーションした事がありました。

その時の答えは、最高連続した回数は13回だった。つまり、その時の次の結果は、反対が出たわけです。

そこまでしか、実験はしませんでしたが、(当時のコンピュータは非常に遅かった。8ビットコンピュータの時代でしたから。)更に、一桁上げて、10万回、100万回としたら、連続14回、連続15回が出てくるのだろうと予想はしてみたりしましたが。

つまり、現代は、宇宙が始まって、130億年位たっていると云われていますから、現代の大小の結果は物凄いスパンの中の、物凄い小さい、細切れと考えれば、連続、100回が出てもおかしくないと個人的には思っています。(あくまでも個人的想像ですが・・・。)

数学上で、無限と言われるものはかなりあると思います。分数もルートも少数表現をすれば、無限になる数字は無限にあると思います。素数でも無限に在るといわれていたと思います。整数そのものが無限にあるのですから。

従って、個人的には、無限のものを包み込む宇宙も無限と思っていますし、その中で、時間も無限であり、宇宙の形が変るだけとも思っていますが・・・。

ついでに、想像ですが、3次元の人間が見て、無限でも、4次元の人間(そこの生存者)が見れば、そこの生存者は有限に決まっているじゃないかというかもしれない。

2次元の世界の人間(そこの生存者)が地球上にいて、無限だ、果ては無いと思っても、3次元の人間が見れば、地球って有限の世界で表面をウロウロしているだけだよと見えてしまう。

もし、4次元の人間から見れば、3次元の無限の宇宙も、間違いなく有限と云うことになります。と思っています。

ただし、4次元があればの話ですが・・・。

実験的思考で、2次元の住人は、果たして、3次元の存在を予想することが出来るでしょうか。もし想像できれば、2次元の世界は有限なのだと、2次元の住人にも自覚できるでしょう。

同じ理屈で、4次元はあると云うことになります。そして、3次元は4次元の住人から見て有限と云うことになります。

もし、2次元の住人が、3次元の世界を想像することが出来なければ、2次元の世界は無限だと思い続けるでしょう。

同じ理屈で、3次元、私たちが、4次元の世界を想像することが出来なければ、3次元の世界は無限だと思い続けると思います。

結論、3次元の目だけで見れば、無限。4次元の目で見れば、この地球のある大宇宙も有限と云うことになると思います。

話を戻して、ギャンブルの話です。

ギャンブルは全体像、波、流れを掴めないと勝てないというのが結論です。

波、流れを掴めないと勝てないのは、ギャンブルだけではありません。生活上の全てに当てはまります。

言葉通り、流れを読んで、波に乗っている人はギャンブルまでもうまくいくということになると思います。

数学上、胴元が100%勝てる様になっているのがギャンブルです。波の一周期が終われば、胴元が100%勝つことになっています。実際はギャンブルは筋書きの無いギャンブルでは無いことが分かります。筋書きの有るギャンブルな訳です。

ギャンブルでは有りませんが、宝くじは、多分、配当が50%しかありません。当選者の人数かけ当り金額の和と、売れた宝くじの総枚数と金額を掛けた数字を照らし合わせたら、50%の計算になったと思います。それに、馬、競輪、競艇で75%の配当と聞きました。ラスベガスのルーレットが一番配当が良くて、95%です。

こう考えてみると、宝くじは散々です。当たる確率も低い上、配当が余りに低い。

ラスベガスでルーレットにのめり込んだ、試行錯誤を綴りたいと思います。

ルーレットは1から36までの数字と0と00の数字、計38の数字があります。一つの数字に賭けて当たれば、36倍のチップがゲット出来ます。つまり、36/38≒95%配当されることになります。

5%程、胴元(カジノ)が取る訳ですが、たぶん、ギャンブルと云われる遊びの中で、最も高配当だと思っています。

これ程の、高配当、つまり、高いチャンスがそこにあると踏んで、当時の8ビットコンピュータでBASICでプログラムを組み、シュミレーションまでして、ラスベガスに戦いを挑んだわけです。

結論を先に言います。

5%のカジノ有利の数学的答えを打ち破ることは出来ないと云う、結果と証拠を付き続けられることになりました。

では、その試行錯誤の過程を書き綴っていきたいと思います。

イメージしてみてください。横のX軸と縦のY軸。交わったところが0でしたよね。そこに、正弦波がX軸に中心に上下に震動する。正弦波とX軸に囲まれた面積は、X軸の上も下も同じ面積です。それは確率50%の世界だからです。


時間切れですみません。続きます。




音。良音。雑音。

音。良音。雑音。

音について最近、考え込む事が多くなった。

雑音の中で、多くを過ごしてきた人生だと振り返る。

雑音とは、嫌な言葉という意味でなくて、純粋に『音』そのものの意味ですが。

嫌な言葉の雑音も、大きなストレスの原因には、間違いないと思いますが、気が付いて来なかった、純粋な音の「雑音」とストレスについて考えてみたいと思います。

自然の音と、人工の音。

一応、小さくても都会(地方都市広島、呉)に住んで暮らしていると、聞こえてくる音は殆ど、人工の音のような感覚がある。自然の音を、朝、起きたときから、夜、寝るまでを、頭の中で追いかけてみる。

家族との会話、・・・、なかなか見つからない。人工の音に、終日、かき消されている思いがする。仕事の中では、なかなか見つけられないと思う。

休日はどうだろう。都会を離れられるほどの休日は殆どないので、やたら思いをめぐらす。郊外で感じられる一番目は、風の音、それから、海だったら、波の音、山だったら、小鳥の鳴き声、木々のそよぐ音、小川があれば、水の流れる音・・・、想像力も貧しいほど、人工の音に慣れてしまっている。

考え続けていくと、そもそも、人工の音と自然の音の境もつけ難い事にも突き当たった。

例えば、ピアノの音。人造物から出てくるから、人工の音?と思う。

考えてみれば、自然の音は良い音、と決め付けた感覚があったのにも気が付く。つまり、良い音は、自然の音、悪い音、つまり雑音は、人工の音と、感覚的に捕らえていたかも知れない。

同じ風の音でも、そよぎの風の音は良い音で、暴風の風の音は雑音を通り越して、恐怖の音となる。

人工の音で、良い音も、先ほどのピアノをはじめ、多く存在することにも気が付く。

同じ音でも、人によって、良い音になったり、雑音になったりもする。ピアノの音もそうだし、車、バイクのエンジン音などはその典型かもしれない。

では良い音とは、何か?悪い音、雑音とは何か?と思い始める。

良い音のとは、たぶん、ストレスを軽減し、安らぎを与えてくれ、心豊かにしてくれる音と思ってみると・・・。どうでしょうか。

一日の生活の中で出会う多くの音の中に、良い音に触れる機会はどれくらいあるのだろうか。出勤日、仕事に追われ続けているお父さんには無いと断言できる程ではないかと思う。という事は、雑音の中で、ストレスを発生させられながら、長くの時間を過ごしているのが現状だと思う。

年々、世の中がイライラの方向にシフトしているような気もする。このことと、良い音、悪い音の係わり合いはどうだろうと考えさせられる。

大人でも、この日常の多くの雑音に知らず知らず、蝕(むしば)まれているかも知れない。子供の世界はどうだろうと思いを巡らせてみる。きっと、少ないだろうと願うが、案外、そうでは無いかもしれないと心配も起きてくる。もし、雑音に囲まれた世界で大きくなった子供は、果たして、心豊かな大人になれるのだろうかとも心配する。

文明社会、イクオール、イライラ社会になってきている事は、感覚的に感じている部分も多い。

もし、良い音で、人間の気持ちが、やさしくなれるなら、ストレスが減少し、豊かな心に慣れるなら、雑音をの中和をしてくれるなら、良い音に触れる価値はものすごい。

真空管アンプを通じて思うこと。それは、TVのデジタル音も、雑音に聞こえだした。もちろん、許容範囲ではあると思いますが。蓄積されると、知らない間に、許容範囲を超えるかもしれないとも思う。

良い音に触れること。それは、やはり、ストレスのリセットに必要と思います。休日には良い音を探してみたい、触れてみたいと思う。

ひょっとすると、風景もそうかもしれない。人造物の、建造物に囲まれて生活している日々。休日に人造物を離れて、自然の風景を見、接するのは、やはり大きなストレスの解消かも知れないと、改めて感じ始めました。

良い音を聞き、囲まれて、良い風景を見る。贅沢な事なのだと感じ入ってしまいました。

何気ない、自然の中の生活、そこに、ものすごい価値があるとは・・・。感謝です。




ありがとうございました。




















後日に続きます。


真空管アンプ その2。

真空管アンプ その2。

一週間ぶりに、手元に帰ってきた。車の中でセットし、iPhonのiPodに接続、MP3で保存してある、歌謡曲を、運転しながら聴いてみる。

保存してある曲は100曲以上ある。つけっ放しで聞くが、すぐに同じ曲に戻る他の音源と比べて、常に違う曲を聞けるので、飽きも来なく、入れ替えの手間隙も入らない。重宝だった。

この重宝な音源を実は今まで、ほとんど聞いたことが無かった。理由は、音質だと思う。曲が最近のヒット曲ばかりだから、聞きたい曲ばかりに違いない。

娘の好きな曲を集めたものだろうと思う。娘は、iPodでイヤホンタイプのヘッドフォンで聞いている。彼女が、家のコンピュータでダウンロードしていたものが、充電中に、自分のiPhonにダウンロードされたいた。ヘッドフォンで聞けばよい音なのかも知れないが、持っていないので、直接聞くと、その音質は、聞き続けたいとは思わなかっただけの経緯がある。

それを、真空管アンプを通して聞くと、非常に良いと感じるまで変化していた。

若い人の音楽は、年寄りにとって、いつの時代もうるさく聞こえる。ビートルズが来たときも、当時の年寄りはうるさいと言っていたのを思い出す。

うるさい原因は、曲の良さを伝えられない、再生の悪さが原因の一番目の理由だと思い知らされた。

良い音質で、聞く、昨今の歌謡曲はかなり名曲だと思う。歌手も昔のアイドル時代と比べると、隔世の感さえある。歌もうまいのがよくわかる。

ある知人、といってもお客様だが、彼は、親父バンドで、スチールギターを担当する、現役のハワイアンバンドマンである。

早速セットして、ノートパソコンに繋ぎ、先日、呉市のホテルで行われた「親父バンド」のイベントを見た。

音源は普通の家庭用DVDカメラで収録されたものを、CDにコピーしたものだった。

感動したのは彼の方だった。今まで、家庭用のDVDデッキ、TVの組み合わせでしか見たことがないという。

自分たちの演奏を見て、きっと、酷評?していたに違いないと思う。TVから流れてくる、演奏を聞き、判断していたかららしい。自分にとっては、会場の雰囲気の、音の再生と素直に感じるだけっだたが・・・。

普通の家庭用デジタルTVの音質と、これだけ違うとはが、素直な感想となりました。

夜、家庭のデジタルTVに繋ぎ、音楽番組を見てみる。

黙って繋ぎ、びっくりさせようとした試みは、残念ながら失敗に終わった。家内から苦情が出てきた。会話では、音がこもるような感じがする。つまり、いつもに比べて、かなりの違和感を感じるらしい。

番組は進み、歌謡曲になった。歌は非常に良い。柔らかというか、まろやかというか、歌手の歌唱力が一段上がったようにさえ感じる。

これが、本来のその歌手の声、歌唱力に近いのではないかと思う。

TVは映像の美しさを競っている。ばかり競っているといってもいい。音質をもっと競ったほうがいいと思う。それは音楽へ携わっている人達へのご努力をそのまま、家庭に届けるためには、不可欠とも感じた。

NHKのN饗アワーを低質の音で聞いていて、感動しなかったんだなと振り返る。今日、今晩、9時からある「バッハ作曲・G線上のアリア」とTV欄にある。録画して、生TV音と真空管アンプを通った音を聞き比べてみたいと思う。

子供にクラッシック音楽を好きにさせようとしたら、音質が最も大切かもと、反省を込めて思います。

英会話のCDも繰り返し聞き、疲れる、飽きるで、長く続かない。これを良質の音で聞いてみたら、効果が上がるかどうかも試してみたいと思う。



ありがとうございました。





育毛剤



サラヴィオ化粧品



アルガンK2シャンプー



アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

賛同でワンプッシュ!
賛同でワンプッシュ!
賛同でワンプッシュ!
livedoor プロフィール
最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ