The Sixtiethのブログ

自分なりにですが、人生の不思議を考えています。

2011年02月

エイズ発症者最多9人−広島市。

エイズ発症者最多9人−広島市。

エイズ02102011エイズ02132011

久しぶりにエイズの話題のニュースに触れた。

ビックリだ。地元広島ではないか。

23年位前に渡米した時、知った病名だ。その時はアメリカでも余り知られていない時代だったと思う。

幾つかの、気の毒な話も聞いた。エイズ患者が、自殺して、それを助けようとした、レスキュー隊員がわずかな傷に、エイズの人の血が入り感染したという事故は、多くのアメリカ人の同情を買った。大変、気の毒に思った。

会社の仕事上のお客さんで、入院先の病院から、仕事上の感謝の手紙に、エイズで、余命は後わずかしかないとの事が書かれていたのにも驚いた。

それから、エイズ撲滅運動は、広まったが、有名人にも発症者が出たりで、大きな社会問題にもなった記憶がある。

15年前に帰国して、日本の安全には、さすがと思った。

たまに、旅行帰りの方が話題になったりした記憶はあるが、ここ最近は、ニュースでは、聴いた記憶はなかったと思う。

しかし、この新聞で、怖い事に、確実に、地方都市広島でも、増えてきているのがわかった。

最近、DVDで観た映画に、父親にレイプされ、子供が出来、更にHIVに感染していたという、これ以上無い不幸を背負わされた黒人女性のストーリーがあった。(これは、後に映画の感想で別にブログするつもりです。)

鳥インフルエンザにしても、エイズにしても、撲滅しきれないどころか、更に猛威を発揮しつける。何ということだろう。

人類の安らぎは、中々来ない。

慎ましやかに、生きない人類への、神からのパッシングなのか。そうとしか思えない。

撲滅しても、更に新しい病気が、人類の前に立ちはだかる。それの繰り返しは、単純に何故と思う。

しかし、人類の努力はすばらしい。神も、人類が努力すれば、解決できる道も残して、用意して頂いてる気もする。

それにしても、常に・・・。止めよう、同じ事をつぶやくばかりだ。

死に至る病。それに犯される大切な人生。

つつましく生きれば、こんな、恐ろしい病気に縁は無いはず。と信じよう。



ありがとうございました。


民主主義と資本主義。

民主主義と資本主義。


民主主義と資本主義は同じ方向のベクトルで共存する、最高のシステムと思っている人は多いと思います。

これに少し、疑問を投げかけたいと思います。これが本当に現代社会の最高のシステムかどうか。

規制緩和以来、ご存知の通り、既存商店街は、衰退の一途をたどり、ショッピングモール、コンビニチェーン、数多くの物品販売のチェーン展開、飲食関係のチェーン展開、迄、それらは大資本、もしくは、その傘下の構造で無いと、立ち行くのは難しい状況になって来ていると思います。

例え、モールでお店を構えたとしても、家賃、又は、コミッション等で、お金の流れは、大資本に集まることになります。

自分が経営者と自負していても、多くの規制から逃れる事は難しいことになります。その組織の情報系等も、トップダウンで、それぞれの個性を生かす、余裕は多く残されておりません。例え、個人の経営者であっても、大きな組織の中の一員という事になります。

更に、日本の大きな動きの中で、政府の政権が自民党から、民主党に移っても、依然として、規制緩和の方向は、あまり変化がありません。

では、規制緩和で何が起こるかという事ですが・・・。その結果、それは、大資本の更なる規模拡大にしかなりません。

政府も、地方自治体も、規制を、更に、緩和して、企業、工場を誘致して、活性化を図ると言い、その経済効果は大きいとアピールしています。

しかし、それが、出来るのは誰かと考えた時、多くの場合、大資本しかあり得ません。個人企業、商店には手も足も出ない事になります。つまり、規制緩和こそ、結果的に大企業、大資本の優遇の政策となります。大きな流れの中、大企業は潤い、零細企業は、押しやられ、結果的に、貧富の差は、拡大していく構図となります。

門戸は、平等に、総ての人に開かれていると云われます。しかし、大資本だけの勝利を、まざまざと知らされるだけに終わります。

会社の、実態は、何か、それは封建社会と同じと云えます。トップダウンの構造です。

資本主義とは、民主主義という甘美な言葉に都合よく同居し、封建主義の実態となっているのとほぼ同じことです。

しかし、多くの人は、そうとは感じていません。この会社のシステムは当たり前だと感じていると思います。

実際、日常の生活の多くの部分で、このシステムの中に、問題の有無とか、是非を感じる事には、ほとんど気を向ける事はありませんし、違和感を感じることも無いのです。

この会社のシステムを良しと感じている人は多いと思います。

しかし、それは、形を変え、政府に対する不満という形で現れて来たりします。

日常生活において、ひとたび、仕事を終えると、普通に会社という封建社会構造から、100%民主主義の世界に入る事になります。

この民主主義の世界は、今、正に、混沌としています。期待していた、内閣は、時間と共に、急落の運命を繰り返しています。

政府へ託された、将来への希望、安心感は、万全とは感じられなくなってきています。

ここで、何だろうと感じる事は、封建社会の会社組織は上手くいき、民主主義の生活の社会は、上手くいっているとは言い難いという事です。

先の、調査で、不支持の最大理由は「リーダーシップが無い。」でした。

民主主義、個人主義の前に、本来、リーダーシップそのものさえ必要なのかと思いますが・・・。その意味は、民主主義、自由と言っても、やはり、組織なのです。

その組織の自由度がきついか、緩いかで社会主義と民主主義の違いがあるように思います。

組織の締め付けは緩く、リーダーシップは強くと云うのが、現代日本の民主主義のかなわぬ願いの実態だと思います。

しかし、リーダーシップと云われても、その前に、行き先、ゴールが問題だと思います。行き先がクリアーであれば、それが決まれば、自ずと、強いリーダーシップは生まれて来ます。

逆説的に云うと、ゴールがはっきりしていないという事にもなります。

会社という封建社会の行き先、ゴールは、既に、決まっています。強いリーダーシップもそこから生まれていると思います。もし、行き先、ゴールが間違っていたら、倒産の憂き目を見る羽目になるというリスクは避けられないにしてもですが。

競争の上で、相手ばかり見ていると、結果、負けることになります。これはイソップ物語の「うさぎと亀」の一つの解釈です。性能で勝る、うさぎがゴールを目指して走っていたら、負けることは無かった。うさぎは亀の動きばかり見ていたから、負けたのだという解釈です。

この解釈を、今の政権に当てはめてみますと、ゴールを見ないで、民意ばかり見て、うろうろしているようにさえ見えたりします。

その民意は、ゴールが見たいのに、行き先が、不透明で、見えないと感じているのでは無いかと思います。そこで、混沌とした、堂々巡りが始まっているようにも見えます。

やはり、日本人は民主主義の横一線の構造の中でも、心の中では、会社の様な封建社会を望んでいる部分は有るのではないかと思います。

日本人は、本当の自由な個人主義より、封建社会のように、上と関わり、保護され、横と関わり、仲間意識を持ち、支持されるという方が、むいている国民性なのかもしれないと思います。

いわゆるバブルがはじけて、社会が良くなったか、悪くなったか、個人レベルでは、成功者もいれば、その反対の人もいると思います。しかし、ここで問題提議としたい事は、日本という国のレベルで考えた時、どうなのでしょうか、という事です。

余談ですが、アンケートの集計の数字に疑問を持つ事があります。

果たして、アンケートにYes、又はNoを答える時、その方達の判断基準は何処にあるかという事です。もし、個人レベルの考え方の答えと、国レベルの考え方の答えが、混在していたとしたら、その結果の数字の意味は違って来る事になります。

例えば、自分では嫌だが、家族の為にはそうした方が良いという場面は、結構あると思います。同じように、個人でのレベルで考える事と、国という大きなレベルで考える事とは、答えが違う場合もあるかと思います。

2011年を国のレベルで考えた時、現在の日本が良い方向に向かっていると、感じておられる方が、多くおられるでしょうか。どうでしょうか。

小さな政府、規制緩和、大きな自由一杯、弱肉強食、貧富の差の拡大、失業者の増大・・・、の方向へ進んでいるように感じている方は多いと思います。

逆に大きな政府、少なからずの規制、少々の自由、弱者に優しい安心な社会、損得よりも義理人情の判断基準だったと、昔を回想したりしていますが・・・。皆さんのお考えは如何でしょうか。

何のために、日本は大きく構造改革に舵を取ったのでしょうか。

もし、その最大の理由が、目先の市場主義の人間の欲を利用するだけ、であったとしたら、・・・・。総ての判断基準が、国のレベルから個人レベルへと変化し、個人の損得が、最優先されるようになります。

その結果、物事が、個人の損得のレベルで争うようになり、人民の心は、ばらばらになってしまう事になります。金銭がらみの犯罪も増える様になります。感覚的にも、殺伐とした世になって来たと感じるようになります。

今、日本に、求められている事は、例えば、国を会社と見立てると、日本国株式会社を経営する、運営する、まず、その理念、思想だと思います。

決して目先の事でなく、大局、理念の根本が明示される事だと思います。それが前面に出されなければ、民衆にとって、ゴールも方向も解らない事になります。それから、その次に、それを、遂行する、強いリーダーシップという事になるのではないしょうか。

今、日本は世界の中で、後進国の追い上げもあり、ウロウロしているように見えます。

誰もが、決して、うさぎになってははならない、歩みは遅くとも、正しくゴールを目指している亀の方を待ち望んでいるような気が致します。





 書きなぐってしまいました。乱文でお許し下さい・・・・。



ありがとうございました。

アフリカの人類の祖先、ルーシー。

アフリカの人類の祖先、ルーシー。

☆太古の命の証人

今日の中国新聞に彼女の特集記事がのっていました。

ルシー02102011


歴史の証人、ルーシー、約320万年前の女性です。神から選ばれた人と思えてきます。

多くの骨が、傷まずに残っている。現在の保存技術で、320万年保存する事が出来るのかその道は詳しくないので分からない、が神の仕業としか思えない。

想像すると、彼女の最後は、過酷なものだった様な気がする。きっと、天変地変でもあって、恐怖の中で、命を落としたのかもしれない。後日の証人となるために。

彼女の、子供達は、何とか、難を逃れる事が出来たのだろうと思う。その証拠は、現在の私達の存在だからだと思う。

如何なる、天災、人災があっても、神は証人として、誰かを、適任として残すのかもしれない。

彼女の、生き残った、子供の中で、優秀な子供達は、生き残りに、神より選ばれたのかもしれない。

320万年の歳月は長い、気が遠くなる以上に長い、その間生命のたすき渡しをされ続け、今日の私達がいるという事は、言葉で表現できないほど、すばらしい事だ。驚きだ。感謝せねばならない。

平均25歳で命が繋がれたと計算すると、約13万回の生命の引継ぎがある。太古の大昔の事だから平均15歳で繋がれたと計算すると、約21万回になる。

有史2000年を1600回繰り返す事になるから、如何に現在までになる為に、いかに遥かなる遠い道だったかが想像される。

こんな、歴史を積み重ねてきた、地球の生命の危機が、わずかここ50年、100年の間に、急激に膨らんできているように伝えられています。

これから、320万年の未来、地球は、健全な姿で、人類も、幸福の中に居ることが出来るだろうか。

もし繋ぐ事が出来なければ、現在、未来の人間は、過去の多くの人間よりも、遥かにおろかな事になる。

地球の破壊は、人類の破壊に直結します。それだけ強力な破壊力を持ってしまった。その破壊力以上に、強力な心を持たなければならなくなった。

320万年先の、ルーシーにつなぐ為に。




☆現在の命の証人


先日、書いたブログに、橋爪 文さんをご紹介しました。この女性も、100年、1000年経てば、原爆の生々しさを、綴られた証人として、選ばれた人に思われるに違いない。

彼女の本を通して、彼女は、その家族は、神から選ばれたに違いないと思えるほどの、偶然とは思えないほどの惨事下の中で、生き延びる術を与えられたのだと感じます。

そして、50年経ってからの執筆、彼女の能力が、出版までされ、多くの人々に、原爆の一人の経験を通して、その悲惨さを、疑似体験させられる事が出来ています。

彼女が、経験した事、見た物を全世界の、指導者だけでも共有できたら、決して、戦争は起こらないはずです。ましてや、核兵器なぞ、使うはずもありません。

人間が破壊しない限り、地球号は、あと50億年、地球上のあらゆる生命を育んでくれるはずです。

もったいない。地球と生命を壊す事は、最ももったいない。

もったいない・・・。



ありがとうございました。

p.s.

下記に、原爆に関する記事が載りましたので、添付しておきたいと思います。

原爆神崎02132011






新婚5年までは二人で過ごすお勧め。

新婚5年までは二人で過ごすお勧め。

振り返ってみると、5年間新婚時代が続いた。良かったと思うことと、大変と思うことを振り返ってみたいと思います。

まず、5年間もの長い時間、2人でいたということは、2人で暮らす術が身に付いたということです。これは、大変、良い事だったかなと思います。

もうすぐ、子供が、巣立ち、再び、2人の生活に戻されますが、それは、未経験ではないということです。若い頃と、老後では、まったく同じではないでしょうが、一応、2人だけのシチュエーションには、慣れているといえます。

とはいえ、そろそろ、熟年離婚の領域にも足を踏み入れる事になります。

熟年離婚と検索すると下記のサイトがありました。

*************************

http://www.sla.or.jp/check/rikonn0312.html

同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、ここ10年で2倍以上に増えています。同居期間30年以上に限ってみると3倍近くになりこの増え方は、離婚全体の増加率の2倍にもなります。しかも、そのほとんどが妻からの申し立てによるものです。

*************************


危険度テストもありましたので、後ろ向きにチャレンジしてみました。その答えの結果が文章で、色々と優しく、丁寧に説明されたいました。

危険度テストの結果は、離婚の危険率は高くは無いという判定のように感じました。一応胸を撫で下ろした次第です。

ここ10年で、2倍以上増えているそうで、しかも妻からの申し立てが圧倒的とは夫としては聞き捨てなら無い話です。

そういえば、60歳代で離婚した知人女性が言っているのを思い出しました。その方の周りの女性は、行動には移さなくても、多くが離婚したがっている、と聞いたのを思い出しました。

寿命が延びて、さて、これからが、問題です。長い人生が、待っています。

さて、話を戻しましょう。

出来ちゃった結婚のカップルも増えていると思いますが、彼たちを見ると、幸せそうにも見え、反面、即、子育ての大変さが、新婚生活と同時スタートは、大変そうにも見えたりもします。

これは、基本的には、本当に、それぞれの人生ですから、それぞれで、感じられることでいい訳です。

人生設計という観点で、見ると、子育て期間、1人っ子ならば、22年間、二人っ子ならば、更に2〜3年、その期間を、前に置くか、後ろに置くかという選択です。

早く、子育てを終えて、若い内に、老後が迎えられるのと、例えば45歳だったり、逆に、遅くから、子育てが始まり、65歳位でやっと終わるというパターンのどちらを選択するかということだけの話ですが・・・。

どちらを選んでも、一長一短あると思います。自分の場合は、後者をとった形になりましたので、経験上、その良かったということを、書ければと思います。

良かった事といえば、よく青春出来た、という事に代表されると思います。37歳に第一子が誕生するまで、青春を引きずる事が出来ました。気分は37歳になっても、25歳くらいの感じだったかもです。

37歳で、俄然、親としての自覚が登場してきたのですが、うろたえる事もなく、後悔もなく、親となれる事に喜びを感じる事が出来たと思います。

実は、16歳で自立して、20年間も青春が有った事になります。十代の青春、二十代前半の青春、後半の青春、結婚してからの青春と分けてもいいかなと云うほど長い青春でした。

結婚してからの青春があったのは、人生の重大な部分が、良い方向に過ごす事が出来た原動力かも知れないと思います。

それは、それまでは長く続いた不動の日々が、30歳から、大きな人生の波が始まったからです。結婚、退職、失業、転居、就職、転居、転職、転居、転職と神田川の世界から、アメリカ生活まで、崖っぷちと、はらはらどきどきの生活の日々でした。

多くの迷惑を掛けた分、現在、少しは平身低頭居られる自分が出来上がったのかも?と思います。ジジイになると、平身低頭が一番、これが熟年離婚を避けて通る、唯一の道かも知れない。

青春の必須条件は、時間かなと思います。自分の時間の有無が、青春が出来る最大条件だった様な気もします。お金があればもっと、無駄な馬鹿な青春が過ごせたかもしれませんが・・・。

困った事は、やはり、60歳の声が聞こえてくると、体力の衰えに、はっとしてきます。まだ、扶養義務がある。鈍る場合ではないと意気は上がっても、体力的には、気分に追いつかないギャップが大きくなってきた事に気付かされるのです。

友人は、総てといっていいほど、既に、人生の義務は完了している。特に、早い奴はとっくの昔だ。

しかし、物は考えようだ。よって、若さを保つ事が出来る。まだまだ、現役で仕事も出来る。そう思うと、強気がエネルギーに変る。

時に、友人に合うと、友人達が恨めしくもあり、打ち消すように、反面、意気強く生きられる立場に感謝もしている。しかし、感謝の方が、やはり、大きい。

そして、最後に「バッタリ、前向きに倒れて死ぬ。」と願っている。

平均寿命まで、約20年、子供の巣立った後は、また、60代の青春を綴っていこうか。そうそう、60代前半、後半、70代前半、後半、・・・勝手に80代前半、後半・・・これくらいで青春は終えて、老後に備えようか。

90歳、母の生きた世界まで、見てみたい。と思う。





 おわり。



ありがとうございました。







メニエルと心について。

メニエルと心について。

Kay氏のブログ下記を読んで、自分のメニエルの経験を書いてみようと思います。ご参考になれば、幸いです。

彼のブログと、その時に書いた自分のコメントです。

*************************
         
http://www.kaynotes.com/archives/2386742.html

  • 7. salonsystem
  • 2011年02月08日 21:58
  • 5 実は僕も、メニエルで20年は苦しみました。27歳のときに発症して、どこの病院でも原因は不明治療法もなし、ほぼ、一週間に一度は見舞われ、ひどいときは頭をもちあげることも出来ないことも何度もありました。めまい吐き気もけっこうありました。薬はアリナミンと妊婦用の酔い止めみたいなもだけでした。予想も出来ていましたから、予防も上手になっていました。アメリカにいた時、結構ひどいのになり、脳外科を尋ね、CTスキャンで調べてもらいました。原因らしきものがわかりました。耳と脳を結ぶ、太い神経があり、その神経のそばに、水が溜まり、神経を刺激するのだろうとの話もききました。良性だから命に別状なし、ということで、薬も出ませんでした。うまく付き合ってくれとのことでした。人の苦しみも知らず好きなことばかり言ってと思いましたが、医者にもなすすべは無いわけですから、地団駄踏むだけでした。45歳で帰国、日本の空気に、再発の頻度は高まりました。しかし、異変が起こりました。47歳くらいから、予想が外れるようになりました。くらくら(メニエル)に、明日はなると思ってもならない事が起こるようになりました。50歳頃になると、ほぼ完全に発症しなくなりました。悪くても気分が重いという程度で済むようになりました。ここで、今回のあなたのブログといっちするようになります。僕は友人、後輩等によく言う言葉があります。それは、30歳で頭がつかえるようになった。50歳で、心が使えるようになった。ということです。あなたのブログを読んで、メニエルが直ったのは、心が直したのかもと思います。実は、僕は、もう、死ぬまで、医者に行かない主義になってしまっている今日この頃なのです。
*************************


ネットで調べて見ますと、6-7万人くらいいるそうで、しかも増加の傾向だそうです。

治療法なども見てみましたが、経験上、すごいと思える治療法は見つかりませんでした。

実は、すごい治療法と思ったのは、上記のKay氏のブログです。

27歳の時、自転車レースに夢中で、トラック、ロードかまわず、練習に試合にと、仕事の合間を縫ってどっぷりと浸かっていました。あるロードレースを完走し終わったとき、めまいを感じ、目の前が、文字通り、真っ暗になり、目が見えない状態になりました。しかし、意識は、はっきりありましたので、少し横たわって、取り合えず、その時は回復を待つことが出来ました。その時は、回復したと思いましたが、実はそこからメニエルが始まっていました。どこかが壊れたと思いました。

以来、20年を回るくらい、苦しみ続けました。

メニエルになったときは、何故なったか、その原因を、病院を訪ねて探り、自分で考えて、探りで、しかし、解らぬまま、いつの間にか歳月だけが経ちました。

しかし、50歳を越えるころには、不思議な事に、メニエルは再発しなくなりました。現在60歳を迎えようとしていますが、全くと言っていいほど出なくなりました。

結局、メニエルになった、はっきりした原因も解らず、治った原因も解らずでした。

歳月は流れ、47歳の頃、容態は、好転の兆しを見せ始めました。そして、遂に治りました。

治った時には、50歳という年齢から、体質の変化が起きたのかと思っていました。女性の更年期のようなものが、良い形で現れたのかと、勝手に思っていましたが、それだけではないような感覚が、上記Kay氏のブログを読んで感じました。

彼のブログのコメントにも書きましたが、30歳で頭の使い方が解り、50歳で心の使い方が解ったような感覚がありました。心の使い方とは感覚的には、気持ちのコントロールが出来るようになった。言い換えれば感情が暴れることは、かなり無くなった。と、いうことです。

つまり、心が乱れたり、ストレスに押しつぶされたりすることが、かなり無くなりました。

今、思い起こしてみれば、この心の効用はメニエルに対して大きかったのかも知れないと感じます。

病は気からと言う言葉の通り・・・、かも知れない。と改めて感じました。

敬老の日にTVで見る、100歳を超えた人たちは、くよくよしないとか、笑いとか、楽しくとか、感謝とかの言葉をよく言われるよな〜とも感じます。

男性よりも女性が長生きできるのも、男性の社会的ストレスが大きいのかなとも思えます。

夫婦仲良く、精神的に良い家庭生活を送っている女性は長生き?な様な気もします。

とすると、やはり、万病の予防と、治療には、豊かな心、幸せな心が、一番有効と云う事になるのかと、感じてしまいます。

メニエルが増加傾向にあると書きました、それと、ストレスも増加傾向にあるとしたら、きっと、そうだろうから、やはり、心の乱れに、大きく関係すると感じます。

メニエルを治したいと思っている方に、申し上げたいと思います。20年間メニエルと付き合って、病院には、何の治療法もありませんでした。病院に何かを求めても、メニエルに関しては、原因不明、確固たる治療法無しと答えが返ってくるだけが、現状です。

振り返ってみて、本当に効果があるのは、欲を捨て、怒りを捨て、安らかな心を持ち続けることだったと感じます。この事が一番大切なような気がします。それに、やっと気が付きました。

この、欲を捨て、怒りを捨て、ということは、理解に苦しむ、難しいことです。本能との対決は、本当に難しい一言です。それもそのはずです。何故なら、その難しさに、人生は、一生を掛けて、臨んでいるような側面もある訳ですから。

しかし、仏のように、本能に全面勝訴しろという話では、無いのです。かといって、我慢しろという話でもないのです。表現するならば、折り合いを付ける、ということになります。それは、例えば、かっと成り易い男性の能動的な性格にも難しいことです。逆に、ストレスを受けやすい女性の受動的な性格にもコントロールすることが難しい事と思います。

しかし、ただ、それ意識していれば、いつの日か出来るようになると思います。そうなれば、その時、きっと、メニエルを克服できる事になると思います。




ありがとうございました。






育毛剤



サラヴィオ化粧品



アルガンK2シャンプー



アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

賛同でワンプッシュ!
賛同でワンプッシュ!
賛同でワンプッシュ!
プロフィール

salonsystem

最新記事
記事検索
  • ライブドアブログ